■同潤会の思い出:拓植芳男
何しろRC造アパートといえば日本のパイオニアとも云うべきもの、参考資料などひとつもない。わずかにドイツのタウト等を中心とする小住宅、集合住宅、イギリスの田園都市計画位ですべて暗中模索と試行錯誤の連続であった。アパートは耐震耐火のためRC造とし、工費上エレベーターのないことから三階建、階段形式にした。内部は時代を先取りして様式を統一したかったが、そうすれば家具が必要になる。当時家具工業はまだ発達していないし、経費もかかることから和洋どちらでも選択できるようにした。しかし、問題は畳である。不衛生で、ダニ、シラミの温床にもなるので、替わりにRC床の上にコルクを貼り、保温、弾性を持たせ、その上に薄縁を二重に敷いた。トイレは水洗としたが、一戸当たり約十坪の狭さなので、一穴式を採用、本邦最初の試みとなった。玄関は防火扉、最先端のマスターキー式のシリンダー錠にし厨芥処理のため六戸に対し一個のダストシュートを設けたが、臭気の逆流を防ぐためのダンパーでは大変な苦労をした。
私が最初に関わったのは中之郷アパートだった。(中略)次に担当したのが青山アパートである。これについていち早くクレームをつけに来たのが近所に住む長岡外史中将である。「神聖な参宮通りに西洋の貧民長屋のようなアパートを建てると聞いた。もし窓に蒲団を干したり、オムツなどを干すようなことがあったら誠に恐れ多い。是非計画は中止してくれ」というものであった。決してそんなものではないと納得してもらうには骨を折った。そんなこともあって、それらの対応には格段の計画をした。まず、建物を道路から少し後退させ、そこに植樹帯を設けてなるべく建物を遮断した。さらに屋上のパラペットを高くして、洗濯場と物干場を設けベランダには絶対に物を干さないようにした。屋上の余地には子供の遊び場も設けた。すべて六十余年前の思い出である。(マルクブルティエ著「同潤会アパート原景」しおりより)