■20020419 JAPAN TIMES

Dwellers bought off; ball to fall on Aoyama flats
By YUMI WIJERS-HASEGAWA
Staff writer

 青山同潤会アパートは、ツタに覆われ、表参道の並木道に沿ってシンボルとして、親しまれてきた。 しかし、75年にわたりこのファッショナブルなエリアで人々に平安を与えてきたこの建築を守ろうという活動は、経済活動の前にはなすすべもないように見えます。

 30年にわたる取り壊しにむけた話合いの末、アパートは現在、主要ディベロッパーの株式会社森ビルと建築家安藤忠雄により、今年の末には取り壊され、2005年には、通りの向かい側となんら変わりのない、新しい複合商業ビルになることが見こまれています。

 先月、東京で建築を学ぶ学生の大西正紀さん(24)と田中モトコさん(26)は、アパート内のギャラリーで写真展を開いきました。1週間の期間中に500人の人が訪れました。展覧会における出窓には「なくなっちゃうってほんとうですか?」というタイトルが飾られ、訪れた人の多くはこれに驚いて、コメントを残していきました。

 例えば「いつかここに住みたかった。」 「表参道が渋谷や新宿とは違う雰囲気を持っていたのは青山アパートのおかげだ。」といったものから、また、M.B.という頭文字のイギリス人は「もしあなた達が過去を全て破壊してしまうのなら、未来の希望への指標はどこにある?」と言います。

 実のところ、日本の建築計画は常に、古い建築を取り壊し、新しいものを作る方向に向かって駆動しています。そこには「古い近代建築」の保存についての考えはありません。アーティストと建築家による建替えに反対するグループのメンバーであるデザイナーは語ります。「世論調査によると65%の東京の住民が歴史的建築の保存を望んでいるとの結果が出ている。しかし建替え計画というのは決して事前にこのことが知らされず、人々は常に後になってテレビでそれを知って驚くだけだ。プレスリリースののち、業者は世論の注目を新しい安藤建築に向けさせようとするだろう。」

 同じくメンバーの一人、建築家の田代洋(42)は、「日本では、あなたの家が他の家の資産価値に影響するという考え方がない。住人や業者は通りすがりの人々の気持ちを考慮して保存や補修を行うとこはしない。だがアメリカやヨーロッパの場合、建物は通常、近隣の建物と同等の外観を持つように強いられる。そうでないと全ての資産価値が落ちてしまうことになる。」と語る。

 このアパート群は東京に16ある同潤会アパートの一つで、同潤会は1926年から1934年の間に、主として関東大震災後に住宅を供給する目的で建てられた。16個所のうち6箇所が現在残っている。最も最近取り壊されたのは代官山アパートで、複合商業ビルの「代官山アドレス」に建て替わっている。同潤会の都市計画的なコンセプトは、人々が都市に、平等に住むべきでだ、というものだった。しかし大戦が終わった後、工業と道路建設は人々の住宅にはるかに優先されることとなった。

 「もしこの(同潤会の)精神が続いていたら、東京は現在のパリのような都市になっていたかもしれない。」と田代は言う。

 青山アパートの土地と建物は当初は住宅公団に属していた。しかし戦後、土地は都に引き継がれ、建築は住民に売却された。のちに都は森ビルに土地の抵当を売却した。現在、10棟で出来ているアパートの、全138戸のうちの40戸は個別の権利者に属していて、20世帯は今もアパートに住んでいるが、全ての住人は森ビルへの売却に同意している。

 東京理科大講師の大月敏雄(34)は、例え外部の人間が建物の保存を望んでも、現行の法規と社会体制の中では、業者と住人のやることが絶対的に優先される、と言う。

 ヨーロッパやアメリカの場合、建築はしばしば、古くなるとより価値が増す。日本は完全に逆で、新しい建築だけがその価値を認められる。青山アパートの場合、その資産価値はゼロ、あるいはマイナスで、ゆえに取り壊される必要がある。

 「一方で、青山アパートの土地は、高く評価されている青山という場所柄、大金を引き出すものだ。このような考え方は、銀行がこのように考えている限り決して変わらない。」と大月は語る。「私達が森ビルと交渉するためのただ一つの方法は、この建築を保存することが社会に貢献すると訴えることだった。しかし業者は、金の無駄になるようなことは決してしない。欧米では、保存のための行動は政府や地方自治体が行うのだが。」と彼は加える。

 実際青山アパートの場合、東京都が1998年に土地を森ビルに売却した際、保存しようという考えはないと明確に述べられている。

 保存はまた、個別の権利者にとっても重い負担になる。建築自体には価値はつかないので、このような古い建築に住むのは実に大変なこととなる。何十年も住み続けている住人達の多くは高齢で、補修のために出資する金がない。

 「それぞれのアパートは平均40平方メートルしかない。当初は屋上の共同風呂しかなく、それはもう荒廃していて、住居スペースを犠牲にして設置している場合を除いてほとんどは風呂も洗濯機をを置く場所もない。電力は15〜20アンペアしかなく、これでは複数の電気製品を同時に使えない。」と大月は説明する。

 もしここがこのような良い立地条件でなかったとしたら、住人はスラムのようなところに住んでいたか、あるいは何も持たず無条件で出ていくしかなかったろう。しかし(*青山アパートの場合)建替えによる利益によって彼らは出ていくことになるのだ。。

 「個別の条件によって違うので言うのは非常に難しいが、青山アパートの住人は500万円から3000万円の間くらい受け取って出ていくことになるはずだ。」と彼は語る。「さらに数百万円加えられて、住人は青山アパート後の複合施設に住む権利を得るだろう。」

 東京工学院大学教授の後藤修さん(41)は、アパートを保存する方法のひとつとして、文化財登録を挙げる。11年間文化庁で働いていた後藤は、「このアパートの価値は確実に文化的遺産と認められるものだが、所有者が賛成した場合でないと登録することができない。」と言う。

 田代さんのグループがこの意見を森ビルに提示したが、森ビルは同意しなかった。

 後藤さんは言う。「欧米では建築の保存は強いインセンティブ(動機、〜させる誘引)を得ている。日本では税金と金のために建築を取り壊すインセンティブがある。文化遺産では企業は充分もうからない。」

 建築学生の田中さんは、金だけが決定要因の全になるべきではないと考える。「表参道に来るこの人々は、青山アパートを見上げ、安心感を覚える。彼らはアパートに愛着を持っている。このような価値をアカデミックな人々に認めさせ動かすのは一番難しいことかもしれないが、これは建築を残していくための理由として考えられていくべきたと思う。」

 田代さんは、人々の声が届くためのシステムがないことに失望感を覚えている。たとえ、一般公聴会のような法的なプロセスが行われていたとしても、その告知は人々に知らせるにしては非常に目立たないように行われる。

 「法規(条例)により、計画の告知は渋谷区役所のファイルの片隅で2週間だけ行われるにすぎない。コピーすることもできない。反対者を回避したいディベロッパーにとっては理想的だ。」と田代は言う。彼のグループが反対の意見書を渡したが、区からの返答は何もなかった。告知では言葉の上では返事が来るはずだったが。

 They will ony react if hundreds of residents opposed as a group, he said.

 森ビルのようなゼネコンは、このような規模の開発が行われる時、反対者の行動に対して非常に神経質になる。

 学生達が写真展を開いていた時、アパートとギャラリーのオーナーに、彼らの背後に左翼グループがいるとの噂が広められていた。噂を広めたのが誰かは今だ不明だ。

 大月によると、大型再開発で起こるおける最も不愉快な事は、コミュニティが壊されてバラバラになることだ。建設業者はしばしば住人間に疑いを持つようにさせる。特にグループとしての主張や交渉をする住人達に対して不安を抱くようにさせる。

 名前を伏せてほしいというある反対派のメンバーは言う。「青山アパートの場合、彼らは住人と出ていく条件について、一人一人個別に交渉する。それで住人はお隣さんが自分より多くもらっているんじゃないかと疑いはじめる。彼らは住人に、出ていく際に残っている住人に対してさよならを言わないという条件さえつける。なので交渉中の金額は誰もわからない。これはほんとうに、60年間住んでいる住人がいるようなコミニティのために良くないことだ。今だに取り壊しに抗している住人達がいるが、アパート内の付き合いの目が光ってるのでそれを口に出すのはほんとうに怖い。」

 アパートの跡地に建築するのは、世界的に有名な建築家、安藤忠雄である。田代さんによると、安藤はしばしば都市における歴史性の保持の重要性について言及し、アパートの保存のために戦うことが出来た人物のはずだった。

 「このような人物を自分達のサイドに置くという、これは森ビルの大変上手いやり方だ。」と彼は言う。

 安藤忠雄事務所の青山アパート担当者によると、これは非常にデリケートな問題なのでコメントはできないと言う。「住人は出来るだけ早く立替えが始まることを望んでいる。これは私達ではなく再開発組合がやっていることだ。」と彼は言う

 このように業者に雇われた建築家達が彼らの道義を追及できないということからは理解していたが、田代さんは、建築界において安藤氏のような格別な人物なら森ビルに働きかけることは出来たはずだと感じている。

 「本当のところ、彼はこの事で何かできる唯一の人物のはずだったのだが。」と彼は残念がる。

 東京理科大の大月は、青山アパートは守れなかったが、こんにち社会の考え方が少しづつ変わっていると信じている。

 「若い人々は古いものの価値を認めはじめている。」彼は言う。「ある人々は古い木造日本建築の外側にカフェを作っている。それはお金がないためだけではなく、彼らがそこに新たな価値を見出だしたからだ。私達の世代による時代がやってくる時、20代の人々が社会を動かし始めたら、我々はもっと建築を保存できるようになるだろう。

 青山アパートはおそらくもう残る可能性はないが、もうひとつのある別の同潤会アパートは救える可能性がある。文京区にある築72年の都営大塚女子アパートである。

 東京都が土地と建物を所有する数少ない同潤会アパートのひとつである。女性だけが住むアパートという非常にユニークな考え方によるもので、今でも女性だけが住んでいる。

 昨年末、東京都庁が大塚アパートの取り壊しについて論議をはじめると、このアパートの保存を望むいうグループが活動をはじめた。ここは働く女性の解放のシンボルとして大変文化的に重要なものだ、と主張している。

 東京理科大の大月もこの活動のメンバーだ。「ここはオーナーが完全に都であり、住居者の(経済的な)関心とは関係なく運営されているので、このアパートは残すチャンスがある。」彼は言う。

 大塚アパートは、1930年、当時の完了、長岡遼太郎(←漢字不明)の指示によって建てられた。スイスのジェノバにおける国際労働者会議に出席した長岡は、労働者の労働条件を守るというコンセプトに影響を受けた。

 その同じ頃、モダンガール、略してモガと呼ばれた、首都に家族とは別に住んでいる働く女性たちが増えていて、彼女達をどう保護するかという問題が日本社会にはあった。

 道徳的に問題だということから、男性の訪問客、それも家族でさえ、女中の目が光っている応接間でだけ接見を許されていた。」大月は説明する。「1951年、都はアパートを接収しようとしたが、女性たちは『そうしたら男性が住むようになってしまうだろう。』とそれを拒否した。」

 現在、65歳から80歳の女性約40人が住んでいる。「東京都庁は、ここの女性たちの扱いが大変やっかいだというのを知ることとなった。1975年以来、都は新しい住人の受け付けを停止している。ようは女性たちが死んで一人一人いなくなるのを待っているのでは、と私は思う。」と大月は言い、文京区長が1999年に石原慎太郎知事にあて、「近隣への景観に悪影響を与えるので」と、アパートの崩壊についての文書を送った、と付け加えた。「彼が意味する一般への景観ついて発言は、なんということだろう。」大月は言う。「しかし我々は活動を続けていくつもりだ。」

The Japan Times: April 19, 2002