原宿・同潤会・青山アパートメント・DO+年表



1881(明治14)年 神宮前小学校の親学校、穏原小学誕生
1906(明治39)年 原宿駅開業
1920(大正09)年 明治神宮と表参道ができる
1923(大正12)年 関東大震災
1924(大正13)年 財団法人同潤会設立(〜昭和16年)
原宿駅建替え
1925(大正14)年 09月07日 土地買収(東京府豊多摩群千駄ヶ谷町大字穏田赤羽根一番地)
11月09日 第一期工事着工
1926(大正15)年 02月25日 第二期工事着工
07月 学校用地として約501坪売却(買収当初は約2284坪)
09月01日 第一期貸し付け開始
09月08日 第一期工事完成
1927(昭和02)年

04月10日 第二期工事完成
>>アパート事業の一つとして表参道に「 青山アパート」誕生

05月01日 第二期貸し付け開始 申し込み者数1,046名 倍率7.6倍

>>大正15年本会最初のアパートメントたる青山、中之郷、柳島等の貸し付けに際しては、我が国としては最も新しく突端的形式を備うるアパートメントが果たして一般庶民階級の意向にそい、貸受申込をなす者が多数ありや否や幾分危惧の念能わず、建物の竣工前よりその宣伝に専らの力を注ぎ、建物所在の現場は勿論市内枢要の場所にその内容特徴等を詳記したる宣伝版を立てて、又各官庁、銀行、会社、工場等に案内書を送付する等あらゆる努力を払ったのである。しかるにいよいよ住宅の申込受付を開始するや、杞憂を裏切って多数の希望者殺到し、以後いずれのアパートメントもその貸付開始に当たっては例外なく抽選をもって入居者を決定するの他なき有様であった(同潤会十八年史)

居住者の申し込みを募集すせる当時はこの新しき高層住宅になれざる市民は多く一階を希望してその割合半数以上に及び三階に住込を希望する者ごときは極めて僅少であった。(同潤会十年史)

1928(昭和03)年 明治通りができる
1930(昭和05)年 神宮前小学校開校
1931(昭和06)年 02月 さくせん:井戸水による私設水道を敷設。元来居住者負担を軽減せんがためにして勿論水質の厳重なる試験を経たる後設けられたのであるが、公設水道に比し経費軽少、しかも水質清涼にして喜ばれている。料金は一ヶ月1円(同潤会十年史)
1932(昭和07)年 渋谷、千駄ヶ谷、代々幡の三町が一緒になり、東京都渋谷区ができる
1941(昭和16)年 太平洋戦争勃発
1945(昭和20)年 05月25日 東京大空襲で、辺りが焦土と化す中、耐火構造だったアパートだけが残る。噂によると同潤会にはアメリカのロックフェラー財団も出資していたために空襲の爆撃目標からはずされ被害を免れたという話しも...

>>神宮前小学校全焼、青山アパートで授業を行う
 太平洋戦争終戦
1951(昭和26)年

アパートは住宅営団(昭和16年?昭和21年)を経、東京都に移管される
東京都から居住者に対し、建物の払下げ開始
土地は東京都からの賃借となる

2.3号館は東京都職員の宿舎として使用。残りは当時の元エリート階層の人々であったという。>>(建て替えの原因1:所得階層の差による居住者意識の二分化、各階段の管理格差による設備の老朽化)

1964(昭和39)年 東京オリンピック開催
>>(建替え原因の大きな要素2.)
 商業化の波が引き起こした住戸と店舗の混在
 結果的に管理格差、老朽化を促進させることとなる
1968(昭和43)年 建替えへ活動開始
1977(昭和52)年

原宿歩行者天国を開始

>>「原宿」という行政地名はない。JR原宿駅から東側の明治通りと表参道周辺を総称して原宿と呼ばれている。原宿も約四十年前は下町だった。「新宿でも渋谷でもない。まして銀座じゃない」。デザイナーやミュージシャンの卵が、表参道の喫茶店「レオン」にたむろした。
 
 六〇年代は、ヒッピーが集まった。七〇年代は、ミニ、米国東海岸のエリート校にちなんだアイビールック、雑誌「アンアン」「ノンノ」の誌面をにぎわしたアンノン族、ホットパンツ。八〇年代に入ると、竹の子族、ロックンロール族、アイドルを手本にしたファッションなどローティーン文化が花咲く。九〇年代は、雑誌やマスメディアの模倣にひねりを加えた原宿トレンドに移った。

 ここ数年、原宿は有名ブランドの大型店舗ラッシュが続き、百以上ものブティックが入った老舗の商業ビル「ラフォーレ原宿」も、全面改装。そして、この「同潤会青山アパート」も、近く取り壊されてショッピングビルに生まれ変わる。 他にも青木淳設計によるルイヴィトン、妹島和代+西沢立衛によるクリスチャンディオール、ヘルツォーク&ド・ムーロンによるプラダの他、黒川紀章、隈研吾による建物が表参道沿いに建設中である。

1985(昭和60)年 管理組合法人を設立
1988(昭和63)年 バブル崩壊で地価高騰
>>東京都からの底地払下げが不調に終わる

※借地権に対する土地所有権を「底地」といいます。要するに実質的には地代を要求できる権利のことと考えれば分かりやすいでしょうか。

事業者:三井不動産撤退
この時の設計担当は建築家:葉祥栄
1991(平成3)年 渋谷区「神宮前地区整備計画」策定
1995(平成7)年 阪神淡路大震災を契機に中断していた建替計画が再浮上
住民間でも建替気運高まる
1997(平成9)年 06月 通常総会:早期建て替えの推進が決議される
1998(平成10)年

安藤忠雄氏による組合への説明会(計3回)
 臨時総会:建替の授業施工者を森ビルに決定
 通常総会:東京都からの低地払下げを決議

10月10日東京都より底地払下げを実施

>>アパートは戦前に公的賃貸マンションとして供給され、戦後に建物は分譲、敷地は一筆で東京都が所有していた。それが平成十年十月、都は管理組合法人へではなく、森ビルを中心とする資金調達できた七名にアパートの底地を売払う。これで新規の地主と従来借地人とのあいだで地代の授受が契約され、ここから住宅は借地権価格を目安に評価されて再開発事業が進むのである。 今回の底地購入では、前回昭和63年に試みた管理組合法人を受け皿にするのでなく、森ビル以下数人が新たな地主となり同時に事業主にもなったところが特徴である。

ところで東京都が、なぜこの時期に敷地を払下げたのか、また権利者であった都が事業に参入する意志は本当になかったのか、都の担当者を訪ねた今回の取材では、詳しく知ることはできなかった。
TOKYO DESIGN BOAD れとろWatchingより)

1999(平成11)年

10月15日〜12月5日 計5回 地元説明会実施:出席者延べ約300名
>>主催者は青山アパート団地管理組合法人。法令にもとづく建築計画説明ではなく、任意の説明会で、神宮前地区町会連合会が掲示板および新聞折込等で呼びかけた。

10月15日 第一回 @原宿の丘 参加者44名
11月19日 第二回 @区民会館 参加者36名
11月21日 第三回 @青少年の家 参加者47名

11月25日 第四回 @原宿の丘 参加者43名
12月05日 第五回 @原宿の丘 安藤忠雄氏出席

 個別建替案、小学校を含めた一体整備の2案を説明
 「民間施設との共用は好ましくない」11月区議会・教育長

建築系メーリングリスト「ケンチクラブ」(発起人:damika)内において青山アパートの話しが持ち上がり、有志約20名によって「DO+」プロジェクトを立ち上げる。(以後、メンバーは緩やかに増減を繰り返す)街頭にてフライヤーの配布を行い、取り壊されるという情報が街を行き交う人々にまで、行き渡っていないことを肌で実感する

2000(平成12)年

02月09日
 建築批評サイトA.BBSにて青山アパート・DO+の活動について議論される。
西沢大良氏による証券化の話しなど...

02月14日〜3月5日
 模型展示会実施現況、個別建替案、一体整備案の2つの模型を展示
 森ビル、渋谷区に対し上申書提出

03月
 「現段階では区が判断を下すべき事態ではない」と区議会での区長の発言

 臨時総会:一体整備案への取り組みを決議
 神宮前小学校と住環境を考える会が、総計6100名の署名を回収、
 渋谷区長、渋谷区議会議長に陳情書を提出

05月18日
 DO+ 都内某所にて設計担当者:安藤忠雄氏と会談
「同潤会青山アパートメント保存要望書」及び、それまでメールで頂いていた何百ものメッセージを手渡す。

05月19日
 安藤忠雄氏よりDO+へ直筆のメッセージを頂く

「古いものがどんどん壊されていく中で、残していくことを考えねばならないと思います。そしてつくることを一つ一つていねいに考えてつくらねばならないと思います。同潤会もがんばってしっかり考えます。同封は古いものと新しいものの対話について考えた我々の仕事です。」

>>「衝突こそ想像の源」という大山崎山荘美術館についての文章が同封されていた

06月
 JIA(日本建築家協会)「同潤会青山アパートメント保存についての要望書」を渋谷区長、東京都知事、青山アパートメント団地管理組合法人に提出

07月25日
 DO+ 「同潤会青山アパートメント保存要望書」を渋谷区長、東京都知事、青山アパートメント団地管理組合法人に提出

 DO+ 森ビル企画担当者と会談

09月16日
 DO+ 原宿フォローアッププロジェクト
 ワークショップシリーズ VOL.1

 「原宿未来地図〜こどもの目で見直すまちづくり〜」 開催
 (協力:千葉大学教授:延藤安弘)
 以後、3回まで継続的に行われる

11月
 「民間施設との共用は好ましくない」11月区議会・教育長

12月12日
 一体整備案への取り組みを事実上断念

>>森ビル・青山アパート団地管理組合法人は文書「青山アパート建替えに関する方針について」を渋谷区長、渋谷区議会、渋谷区教育長等に提出、神宮前小学校との一体建築案を止めて、青山アパート単独の建替えを行い、平成14年着工、平成16年完成をめざすと記す。

2001(平成13)年 02月08日
 DO+ 写真家:ハービー山口さんへインタビュー

  (中目黒のハービー山口さんの自宅にて)

04月
 神宮前四丁目地区市街地再開発準備組合を設立

>>ディベロッパーの森ビルが事務局業務を担当し、組合施工の法定再開発に基づき、建築計画を作成し始める

12月17日
 「神宮前四丁目地区第一種市街地再開発事業に
               係る都市計画(原案)に関する説明会」

>>同潤会青山アパートの建て替えをすすめるための、都市計画の手続きのひとつ。渋谷区役所が、青山アパートの再開発計画のためにこの部分の都市計画(街づくりの規則)を、こうしますよ、ということを説明するというもの。実質的には森ビルが事業主、建築設計は、安藤忠雄。建て替え計画案の内容は、店鋪と住宅少々(38戸)。ボリュームのかなりを地下に埋めることで対応し、結果、原宿寄りで4階建て、青山寄りでほぼ5階建て。(店鋪は、地下3階、地上3階)表参道に対する高さは、今のアパートの約2倍となる。(建物の保存については、説明はなかった模様。)

説明会に設けられた、質議の時間...地元の意見は、「早く建て替えろ」というのが主流。「子供の頃からここで遊んだので、思い出深い建物だが、いまや感傷にひたっているときではない。老朽化がひどく、危険きわまりない。」といった意見。「工事中は隣接する小学校に配慮してくれ。」という意見。建物保存の話は、ほとんど出なかったが、それぞれの立場における意見は様々。

12月18日
 DO+:五十嵐太郎氏がディレクションをされている「リノベーション・スタディーズ」の第二回に講師として招かれ、討論会に参加@月島タマダプロジェクト。 同潤会アパートの建て替え問題から、これからのリノベーションについて討論される... DO+にとっては大きなターニングポイントとなる

>>以下↓は、今まで行われたリノスタシリーズ...^ ^
 どなたでも参加自由!討論会を見に行こう!

01.07.13■study1 : ガソリンスタンド再生計画
□guest : 松口龍(SS再生計画実行委員会)

01.12.18■study2 : 青山同潤会アパート復興プロジェクトについて
□guest : 田中元子&大西正紀(DO+)

02.02.19■study3 : 団地再生について
□guest : 松村秀一(東京大学助教授)

02.05.27■study4 : 団地再生計画■study5 : 海外再生事例
□guest : 曽我部昌史(みかんぐみ)□guest : 宮脇勝(千葉大学助教授)
  
次回■study6 : 未定
□guest : 宮本佳明(アトリエ第5建築界)
□guest : 小泉雅生(シーラカンス アンド アソシエイツ)

http://www.tamada-pj.co.jp/lecture.html

 


2002(平成14)年

1月初旬
 DO+サイト、海外プロバイダの更新手続き難航につきダウン

3月
「神宮前四丁目地区第一種市街地再開発事業に係る都市計画(原案)」決定

>>都市計画原案の説明会をベースに都市計画案を作成し、1月下旬から2週間、案の縦覧を経て、提出された。100近くの意見書をうけるが、ほとんど取り入れられることはなく都市計画決定。計画の目標スケジュールは、平成14年度着工、15〜16年度が工事で、17年度完成予定 . . .

03月19日-24日
 Puddle Puzzle Vol.1 場所の行方
 - 同潤会青山アパート写真画展 -
  DO+ 同潤会青山アパートメント6号館一階ギャラリー華音留にて開催
 6日間で500人以上の来場者数を数える

 以下、雑誌・新聞に取り上げられる
 020601 ■住宅建築への寄稿...
 住宅建築(6月号)
 020503 ■会えるうちに「あの場所」へ
 朝日新聞/関東版
 020430 ■見納め紀行 都市の景観を論じる機会に 朝日新聞/関西版

 020419 ■Dwellers bought off... JAPAN TIMES
 020403 ■記者は考える---「都市の記憶」を残す 朝日新聞

04月27日 朝日新聞 安藤忠雄「同潤会建て替え後も温もりを」

06月 DO+サイト復活 > > > http://www.doplus.org/


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